くすり

 訳あって、大人になってから発達障害の診断を受けた。「ASDとADHD、両方持っている可能性が高い」とのことで、衝動性を抑える薬を処方されている。薬袋(やくたい、と読むらしい)には「不穏時服用」と書かれていて、「いや不穏時に飲もう思ても不穏時なんやから間に合いまへんやろ」という妙なツッコミを抱かざるを得ない。じっさいお医者の先生も「不穏なんだから間に合いませんよね(笑)」なんて口にしていたのでお墨付きだ。
 この二年間、そんな薬を時々飲んでは「にが!」と毎度驚いている。飲むと鼻が詰まって眠たくなり、なんにも手につかなくなる。意味ないじゃん、とも思われるかもしれないが、薬を飲むのと飲まないのとでは頭の中身が全然ちがう。飲んでから次に飲むまでの間——つまり「不穏」ではないがだんだんと「不穏」に近づいていく時——にも薬を飲まないでいられる時期はあるのだが、半年に一回くらいは「不穏」な時が存在するのだ。

 昨日がそうだった。何もかもに腹が立って仕様がなかった頭の中に何かを命令するやつがいる。そいつはだいたい「殴れ!」とか「反論しろ!」とかそういう攻撃的なことを言っていて、そいつがうるさいから物に当たりたくなり物に当たるから手のひらが痛む。足先が痺れる。まったく建設的ではない。久々に薬飲む? と冷静な僕が言う。それは嫌だ、と誰かが言う。何に対しても嫌だと言うのだ。不満に思うのだ。頭の中で誰かに言われた嫌なことが反芻される。反芻するたびに「ああしてやればよかった」「こう言い返せばよかった」とかそういう不満が貯まる。そんでもって手が出る。薬! と薬の期限を確認し(2027年6月だった)封を切り飲むと冷たくて苦い。0.5mlの液体が胃に落ちて口直しがしたくなってお茶を飲んだらそれも苦かった。踏んだり蹴ったりである。それから薬が効くまでに30分くらいの猶予があって、その間は攻撃性は薄れたもののちょっとの刺激があればドカン! とちゃぶ台を返したくなってしまうから危険だ。なんとか保った。30分くらい経ったら薬のせいか何も感じない。喜怒哀楽がない。そう感じているだけなのかもしれないがとにかくそう感じる。それから1時間くらいは活動できるが、あまりに眠くなって眠ってしまった

 そういえば、薬を飲むぞという時に右手が震えたのを覚えている。どうにも薬を飲むと言うのが嫌なのだ。苦いから、とかではなく、たぶん「自分は薬抜きでは生きられないのだ」とか「自分はこの障害と一生向き合っていかなければいけない」とか「この障害のせいで周りに迷惑をかける」とかそういうのをぜんぶ薬を飲むことで認めることになるのが嫌なのだ。なぜ私だけが薬を飲んで直されなければならないのだ、という反骨精神というか不条理に対する思いがどこかしらにあるからだろう。それはたぶん一生拭えないんだろうな。

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